ひまわり
まなめ紳士経由で、ロリっ娘宇宙人同棲ADVということで食いついてみましたが、予想外のしっぺ返しを食らいました。いい意味で。
アクア編(過去)がもうツボでした。『星乃明香里』EDですね。悲しいこと悲しいこと。
以下ネタバレもあります。


地球で培った倫理やルールをわざわざ宇宙にくることで目を逸らして、やっていることは「死を超えた愛」の研究。記憶を完全にコピーすることで愛を成立させようという試み。内容が内容ですし、人体実験が必要という時点で地球でやろうとしようものなら倫理が矢のように飛んできて弾劾しそうです。
世の中には愛するあまり相手を殺すことで自分のものにしたり、愛する相手を食べることで自分の一部としたり、「死を支配下に置く」というあまり多くはみない愛情表現の形もありますが、生への妄執であるひまわりの愛情表現とは真逆でありながらも本質的には近いのではないかと愚考します。愛している。とても愛している。言葉で言っても、態度で示しても、それでも足りないくらいに愛している。なら、どうするのか? その先を突き詰めていった答えがそれだと思います。その先にたどり着いても、それは倫理が縛り付けます。愛する相手を殺すのも、食べるのも、その気になればできます。ただその気になっても記憶をコピーすることはできない。研究しなければいけない。それはとても時間と根気と資金が要ることで、思い立ったら実行というわけにはいきません。やっていくと自然それは大掛かりになります。……ひまわりの世界では「宇宙へ行く」ことは副次的なものだったんだろうか。でも副次的なもののために宇宙部で何年もやることは難しいか。少なくとも、最初は研究云々以前にただ星を見てあそこへ行こうと考えてたはず。となると、やっぱり宇宙進出という第一の目的が果たされたところで明香里さんに異常が起きて、ああならざるをえなくなったのだろうか。この辺は単に僕の整理不足な気がしてきた。これ以上ボロ出る前に自重しとこう。
「死を支配下に置く」タイプの人間と「生へ執着する」タイプの人間は、互いに根本的な部分で理解はできても相容れることはなさそうです。片や相手の生命を自分の中で完結させることで終わるのに、もう片方はなんとしてもその状態にはしておくまいとあがいているわけですから。
要は愛しすぎるとろくなことにならねぇな、という話。


ところでアクアはどうやって月から帰還したんだ? 読んだ記憶がない。余韻に埋もれてしまったのだろうか。しかし本当に月面行軍中は切ないことこの上ないですね。絶望的な勘違いを正せないまま戻れない行軍に出て、膝を突いて助けられて、そこからまた頑張って最後にせめて名前を……と望むもそれも叶わず。健気さの極地じゃった。
あとアリエス狂気の『摘出』EDはある意味ノーマルエンドなんじゃないのか、とも考えました。だってさー、最近流行ってるヤンデレてーの? 腹かっさばいて「中に誰も居ませんよ」とか空鍋混ぜ混ぜとかあの類じゃないのかな。あれがあの世界でノーマルじゃないならまあ違うのかもしれませんが。一方がとても幸せだからノーマルエンドというのも、この作品ならありな気はします。
それにしても、今までそういう系統の匂いを嗅ぎ取らせなかった分アリエスの怖さが浮き彫りになるわけですが、思い返してみるとアリエスは元々考え方怖いところありますね。


「アカリは死んだ。アカリの子供も死んだ」
「そーいうことにしちゃえば、いーじゃないですか」
「そーすればダイゴは、おねーちゃんを選びますよ」
にっこり

とか平気で言うし。これは無邪気なのか、身内思いなのか、腹黒いのか……。善悪の境がうすぼんやりしてるだけなのかしら。でもアリエス好きです。アクアも健気でいいんですけど。
SFとは本来ありえないことを如何にして説得力を持たせて書き出すか、というものだと言うのであれば、深い部分はいまいち理解しきれた自信はありませんが、それでもひまわりは立派なSF話でした。