国取り物語を読んでいたのですが、明智光秀があまりにも可哀想です。信長が好かれる理由も、嫌われる理由もわかります。それで嫌われる理由が判った以上、光秀の性格と照らし合わせてその挙は別段首を傾げるほどのことでもなく、憤激して弾劾するほどのものでもなく、ただただ哀れむばかりです。思わずぐーぐる先生のところで「信長 好き」と「光秀 好き」で検索し比べるほど。数の差に泣けてます。たぶん僕自身性格としては割合保守的なほうだと思っているので、考え方も光秀寄りな部分もあるのかと。信長の革命児ぶりも嫌いではないのですが、それは物語的な要素の上でこそ生きるもので、現実にどうかと問われれば裸足で逃げたくもなります。光秀、可哀想な子。
明智光秀は優秀であることは疑いようもないので、それなりに重用し、常識的に(この場合は保守的な意味を含みますが)扱えば治国の秀才として生涯を終えたのではないかと思わざるを得ません。司馬さんの本の光秀像を現物として見ればの話になりますが、自分が六十余州の上に立てるほどの才があるとは思っていなかったフシがありますし。道三の時代だったらもっと輝かしい名で残っていたでしょうに。
信長殺害後の凋落ぶりは泣きたくもなるよ。